大工の親方が、お笑いの道へ背中を押してくれた ― 尼神インター 渚さん(第1回)

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中村千晶

大工の親方が、お笑いの道へ背中を押してくれた ― 尼神インター 渚さん(第1回)

あまこういんたー・なぎさ◆1984年、兵庫県尼崎市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。高校卒業後、大工として働き、2007年に23歳でNSC大阪に入学。同年9月に神戸市生まれの誠子(せいこ)さんと「尼神インター」を結成する。卒業後、NSC30期生として活動し、渚さんがツッコミ、誠子さんがボケ&ネタを担当。単独では大工の経験を生かし、住宅リフォーム番組などでも活躍している。8月28日、新宿文化センター大ホールでの「東京よしもと若手〜ネタの祭典SP〜」に出演予定。

 

――高校卒業を前に、お笑い芸人を目指したとか。

 卒業後の進路を決めなきゃいけなくなって、「自分が何になりたいか」を初めて考えたんです。勉強が嫌いだったので、大学には行きたくない。そのとき「お笑い芸人」が思い浮かんだ。理由はないんです。お笑い番組も特別に見てなかったし、友達を笑わせるのが好きだったわけでもない。でもなんとなく「芸人やな」と。芸人になるにはNSC(吉本興業の芸人養成所)に行かなければと思った。で、入学金をためるために、仕事をすることにしたんです。

――そこで選んだのが「大工さん」。

 まわりの友達に大工や職人が多かったんです。それに図工が好きだったので、「大工、いいなあ」と思って。7歳上の親方について、18歳から23歳までの5年間で一通りの仕事をできるようになりました。建設現場では鳶(とび)や配管工など、いろんな人が集まって一つの建物を作ります。そのなかで大工は、何もないところに壁や天井を作ったりする。消防法でここに電気の配線があってはいけないとか、スプリンクラーをつける位置はどこかとかも学んだし、設計図も読めるようになりました。

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撮影:岸本 絢

――女性の大工さんは少なかったのでは?

 いまは増えていますけど、私がなったときにはまだ少なかったですね。例えば10階建てのビルで8階を担当すると、トイレは1階にしかないんです。男性用には立ちションができるおわんみたいなのがあるけど、女性はいちいち8階から1階まで降りなきゃいけなかった。

 体力的にはやはりしんどい面もありました。最初のころは1日が終わると歩けないほど筋肉痛になったし、肩にもモリッと筋肉がついた。でもしんどいのはみんな一緒ですからね。それに職人さんって見た目は怖いですけど優しい方が多いので、重いものを運ぶときなど、けっこう助けてくれるんです。大工の仕事はパワーもある程度いりますが、どちらかというと技術が必要で、私は性に合っていたと思います。物を作るのが好きで、作業も楽しいですから。

――でも大工を辞めて、お笑いの道へ進むわけですね。

 別に大工のままでもよかったんですけどね。でも始めたきっかけが「お笑いをやるため」だったので、お金もたまったし、23歳という年齢も考えて「やるんだったら、いまかな」と。

 私に仕事を教えてくれた親方が、背中を押してくれたというのもあります。親方は私が「いつか芸人になる。大工は辞める」ということを了解したうえで、私に仕事を教え、応援してくれていたんです。親方自身が昔バンドを組んでいたこともあって、私に「やりたいことがあるなら、できるときにやっておけ」と言ってくれた。その恩もあって、決断しました。親方はいまでも私の誕生日と年始にメールをくれるんです。「去年よりも活躍できるようにがんばって」とか。芸人になったことを喜んでくれています。

(第2回につづく)

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