就活に無関心だった学生時代  何でも楽しめる才能が開花 ― タレント 松尾貴史氏(第2回)

最終更新日: 2019年11月25日
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朝日新聞社教育総合本部 岩田 一平

就活に無関心だった学生時代  何でも楽しめる才能が開花 ― タレント 松尾貴史氏(第2回)

まつお・たかし◆1960 年生まれ。俳優。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。ナレーター、コラムニスト、「折り顔」作家など幅広い分野で活躍する。大阪と東京にあるカレー店「般°若(パンニャ)」店主。近著『東京くねくね』など著書も多数。

 

――ご出身は大阪芸術大学。学生時代どんな就職活動をしましたか。

卒業を控えて周りがみんな就活している中で私は何もしていませんでした。以前から落語が好きで、困ったら落語家に弟子入りしようと思っていました。そのころ実際に桂枝雀師匠の家まで行ったけど、たまたま不在で、それっきり。東京のデザイン事務所に決まりましたが、月給8万円で、これではとってもやっていけないので行かなかった。それで、大阪芸大の非常勤副手になって実家から通っていました。でも給料もらえるのは4時半まで。1日2000円くらいにしかならない。夜は北新地の親戚の店でDJの見習いをやっていました。デザイナーになるならプレゼンできないといけないと思って、月謝の安い話し方教室にも通っていました。

――芸能界に入るきっかけは。

その話し方教室がナレーターの養成所だったんです。そこから広告代理店のナレーションの仕事を斡旋されました。スタジオに1時間行くだけで大学の2~3日分のお金がもらえる。そのうちお笑いの事務所に引っ張られ、大学の副手は辞めました。

――学生時代、友だちとコントのテープを作っていたそうですね。やはり、いまの仕事に繋がる仕事選びの軸を当時から持っていたのでは。

 そうかもしれません。おもしろがる気質というかな。ふざけるのが好きでした。どこか楽観主義で、就活しなくて、「そんなことしてたらダメだ」なんて周囲からは脅かされもしましたけど、それでも、な~に、なにごともなんとかなるだろうと思っていました。根拠のない自信がありましたね。

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撮影:丸橋ユキ

――折り紙でひとの顔を折る似顔絵ならぬ「折り顔」が趣味ですね。人生、何をしてもムダなことはないと言われましたが、「折り顔」で何かいいことはありましたか。

折り紙は大学で造形をしていた時に折り紙になる紙がまわりにあって、それで自己流に折っていたのが始まりですね。手本はないから行き当たりばったりで折る。「香港のスティルバーグ」といわれる監督のツイ・ハークさんが来日した時のことです。横浜で女優さんも交えたパネルディスカッションをご一緒しましたが、その打ち上げの席で、私は英語が苦手な方で、テーブルにあったランチョンマットを使って監督の顔を折ってあげたんですよ。たいへん喜んでくれて、『お前で一本撮ろう』と言われました。実際に脚本を書いて日本語訳を送ってくれたりもしました。こっちが何かと忙しくてまだ実現していませんが。

――何でも楽しめるのは一つの才能ですね。それは、どこから生まれた?

 先日、死んだ父がそういう人でした。なんの役にも立たないことをして喜んでいる。神戸の三ノ宮でバーをやっていて、家から通うのに定期券を買うんですが、名前を「ジェームスボンド」とか「レーガン」とか申請して集めていました。それを改札で見せて、駅員さんに「これ、ちゃうやろ」って言われても聞かない。後ろにお客さんの行列ができて、あっちも困っちゃって「もう、ええわ」。病院で検査を受けていて「生まれはどこですか」と聞かれて、「シアトル」なんて答えるので、看護師さんも「ええっ?」。母が「冗談、冗談」と横で手を振っている。もう苦しい中でも、そんなしょうもないことを言っていました。

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