一番なりたかったのは「映画監督」 ― 精神科医 和田秀樹氏(第1回)

最終更新日: 2019年11月25日
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中村千晶

一番なりたかったのは「映画監督」 ― 精神科医 和田秀樹氏(第1回)

わだ・ひでき◆1960年生まれ。精神科医。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、アメリカ、カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科などを経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長。著書『受験は要領』がベストセラーに。「緑鐡受験指導ゼミナール」代表。劇映画初監督作品『受験のシンデレラ』でモナコ国際映画祭最優秀作品賞受賞(07年)。『痛快!心理学 入門編、実践編』など著書多数。

 

――和田さんの仕事歴を教えてください。

高校時代に映画と出合ってから、目標はずっと「映画監督」でした。大学時代は週6回家庭教師のアルバイトをして、その資金をもとに16ミリ映画を作ったのですが、借金が出来てしまったんです。そこで大学4年ごろからライターとして雑誌に原稿を書き始めました。現役大学生である強みを生かして雑誌『CanCam』のライターをやってそこで知りあった女の子に取材して週刊プレイボーイで「女子大生の好きなデートスポット」なんて記事を書いたり(笑)。原稿料で月に50万稼ぎ、借金も返済できました。

当時からいまに続く通信教育や学習塾の基礎を立ち上げていましたし、ビジネスのチャンスはいくらでもありました。でも教育産業を本職でやるつもりはなく、あくまでも映画監督になるための資金作りだったんです。

――医師の道へと進まれた、きっかけは?

大学6年のときに「このまま資金を貯めても、いまは映画を撮れそうにないな」と判断して、それならば医者になろうと決意しました。精神科医になった理由のひとつには、憧れがあったからです。ハリウッド映画に出てくるような精神科医をイメージしていました。

――挫折した経験はありますか?

研修医になってみると、頭で考えていたものと実際の世界は違っていて、そのたびにショックを受けました。まず、当時の精神科医は本当に「収容所の番人」みたいな感じだったんです。僕は「普通のビジネスマンが相談に来られるような、アメリカ型の精神科医になりたい」と当時から思っていました。いまでこそ、うつ病などが広く認知されて精神科のイメージも変わり、受診しやすい心療内科も増えましたけどまだまだ偏見が残っていますね。

それに医者の世界が不自由な世界だということもわかりました。いま以上に医局の存在が大きく、就職先や研究内容なども医局の指示で決められてしまう。なにより教授にくっついていないと生きていけない。「そういう世界はいやだな」と思いました。

そのころ同時に進めていた学習塾などの受験産業が好調で、87 年には著作の『受験は要領』がベストセラーになった。印税が入ったので、そのお金で「医局に頼らない生き方をしよう!」と、アメリカのカール・メニンガー精神医校に留学しました。帰国後、高齢者専門の総合病院の精神科や大学院の教授などを経て、「和田秀樹こころと体のクリニック」を開業し、現在に至ります。

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撮影:丸橋ユキ

――自分のやりたいことができる環境にないとき、自分でそれを切り開こうと、アクションを起こしていったんですね。

僕は受験関連本でヒットを飛ばしてきましたが、本当は心理学を応用した経済分析や若者分析の本が書きたかったんです。でも「和田さんは受験の専門家でしょう?」と言われて、そういう企画がまったく通らない。「それならば留学して、出したい本を出そう」と思ったことも動機です。

余談ですが、99年ごろにあるマンガ週刊誌のセミナーの講師に選ばれました。そこで人気投票一位になったので、担当の編集者に「読者の多くが10代の受験生なんだから、僕が原作を書いて受験テクニックを描いたマンガを描いたら絶対にウケますよ」と提案したんです。編集の人がなんと言ったと思います?「受験生は勉強の息抜きでマンガを読んでいるんだから、マンガのなかでまで受験の話なんて読みたがらない」って。でもその4年後に、あの大ヒットコミック『ドラゴン桜』が始まったんですよ!(笑)編集者の見る目がなかったのか、僕がちょっと早かったのでしょうね。

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