【渦中の人に聞く】社会人と博士号取得の両立=「社会人ドクター」というキャリアの選択肢
社会人ドクター(社会人博士) 濱口 裕さん
近年、「リカレント教育」≒社会人の学び直し が注目されています。
(参考)VUCAの時代を生き抜くためのキーワード「リカレント教育」とは
学生生活を終え社会人になってからも、知識やスキルをアップデートし続けることは、さらなる自己研鑽、市場価値の向上に繋がる非常に大切な取り組みです。
さて、その取り組みのひとつとして
社会人ドクター(社会人博士)という選択肢があることをご存知でしょうか?
「博士」とは、大学院の博士課程に入学して研究に取り組み、研究成果が評価されることで取得できる、最高位の学位です。
「社会人ドクター」は、企業の社員等としての籍を持って働きながら、大学院の学生としての籍も持ち、博士号取得を目指して研究に取り組む学び方を指します。
専門分野の研究をしている方にとっては、学士、修士、博士どこまでの取得を目指すのか、またその先で企業に就職するのか、研究者としての道を歩むのか。重要な選択を迫られる場面がいつかやってくることでしょう。
今回は、そのような局面で「社会人ドクター」という選択をした濱口さんに、社会人ドクターとしての生活と、その道を選んだ経緯、仕事と研究の両立について思うことなど、リアルな声をお伺いしました。
学問を実務で活かす。社会人ドクターだからこそ気付けた学びの面白さ
―社会人として働きながら、仕事の合間に博士号を取得するための研究をされているそうですね。まずはじめに、現在されているお仕事と研究についてお伺いできますか?
普段は自動車メーカーに勤務し、車に搭載されるソフトウェアを開発しています。必要とされる機能を考えたり、プログラムを書いたり、実際に搭載して動かしたり、様々な形で技術開発に携わっています。
昔から電車や車など乗り物全般が好きで、大学でも車の運転支援技術に関わる分野を専攻していました。色々と知見を深めるうちに、実際に技術を作る企業で働きたいと考えるようになり、その軸で大学院への進学を決め、現在の職場に入社しました。
いま博士課程で取り組んでいる研究テーマも、将来的には、運転支援システムや自動運転の実用化などにつながる基礎技術についてです。
―もともと研究されていた内容が、今の仕事にもリンクしているのですね。
私の場合はそうですね。
ただ一般的には、研究内容が仕事にリンクする人の方が少ないのではないかと思います。新卒一括採用が主流だと、研究内容にぴたりと合った職種に限定した募集というのはそう多くないので…研究してきたことが活かせるポジションで採用されたいとは思っていましたが、実際に叶ったのは運がよかったです。
―仕事と研究、なぜ「両立する」という道を選ばれたのですか?
私の場合は、もともと「乗り物・車を作ること」に興味があり、実際に車を開発・設計する環境に身を置けるので、メーカー就職の道を選んだのは自然な選択でした。自分では、「酒豪が酒蔵に就職したようなもの」と思っています。
私が大学で研究してきた運転支援システムや自動運転につながる技術は、製品として社会で利用されることで、交通事故をなくしたり、移動が便利になったりという価値を発揮できます。
乗り物が好きだからこそ、自分の仕事を乗り物を良くすることに繋げたいと思っていたので、そのために実際に製品を作っているメーカーに身を置くことが、一番良い選択だと考えました。
また、昔から関心が向いたことには一直線なタイプなので、気になったことはとことん突き詰めたくて、ですから博士号を取ることへの憧れもずっと持っていました。
そういった元々の興味・関心に加えて、「学問を実務で活かす」ということの面白さを実際に肌で感じるきっかけがあり、仕事と研究との両立という道がより明確になったのだと思います。
―どのようなきっかけがあったのでしょう。
修士論文を執筆する際に、企業との共同研究という形で、技術開発の現場で自分の研究成果をアウトプットする機会を頂いたんです。それまでは正直、大学で教わってきたものの価値を理解できていなかった部分もあったのですが、はじめて研究が実践に活かせたことで、「実用的な部分」と「アカデミックな部分」を結びつける面白さに気付くきっかけになりました。
研究を続けて学問としての知見を深めながら、実際の仕事との結びつきを強めていったほうが、どちらかだけに取り組むよりもきっと面白い。そう思い、ただ就職するのではなく博士課程の研究も両立する道を選びました。
そうして仕事と研究を両立すると決めてからは、就職活動でも博士号取得を支援してくれるような制度を持っている企業であったり、両立が現実的に可能な企業を見極めてエントリーしていましたね。
いま携わっている業務の中でも、実際の車に触れることで技術上の課題をたくさん見つけられるようになりました。それらが研究テーマのヒントになることは日常茶飯事です。
入社前の学生時代には、研究のネタがなくて困ることもありましたが、今はネタの方が多すぎて研究しきれないぐらいです。
「両立」の苦労。それでも博士号を取りたい理由
―濱口さんのように社会人と研究を両立する方は多いものなのでしょうか?
博士課程の学生のうち,社会人が占める割合はおおよそ4割ぐらいだそうです。分野によってバラツキが大きいようで、私がいる工学分野ではもっと少ないようです。
―そうなると実際に、日々どのようなスケジュールで両立されているのでしょうか?
仕事と研究それぞれの繁忙期に合わせて、どちらかに集中的に時間を割くようなイメージです。仕事の繁忙期には、研究はすき間時間で論文を読むぐらいしかやらないこともあります。一方で、研究を頑張る時期には、定時で終業したあとに何時間か研究時間をとります。仕事は有休をとって研究時間を確保することもあります。
私の場合、博士号を取るには学会誌に論文が3つ掲載されることが条件になっています。修士までであれば、必要な単位を満たせば取得できるのですが、博士号はその論文3本が揃わないと、つまりは研究成果が出ないと取得できないんです。
今担当している業務は自分が研究していることに近しいものなので、仕事と研究を両立しているからこそ得られるものもあると思っていますが、そうは言ってもとにかく時間がないのは社会人ドクターの一番のネックですね。
―そのような多忙な中でも博士号を取得したいのはなぜなのでしょうか?
研究分野に精通しているという「お墨付き」が欲しいのが大きな目的です。
好きなことを研究テーマにしており、これからもこのテーマに携わる、すなわち研究テーマでこれからも仕事ができたらいいなと考えています。ただ、好きなだけでは仕事は来ないので、知見があるという「お墨付き」を得て、自然と仕事が集まってくるようにしたいなと。
それに、日本と違って海外では、企業で先進技術を研究している人の多くが博士号を取得していて、そういう人々と対等に渡り合っていくためには、博士号を持つこと自体が一つのステータスとも言えます。
ですから正直、博士号を取得したところで、お給料が増えたり昇進できたりする訳ではないんですが、その分野が好きだからこそ、携わり続けていくために博士号が必要だと考えています。
社会人ドクターに必要な三拍子。当事者だからこそ感じる「受け入れ体制」の課題
―この記事の読者の中には、実際に今何か研究に取り組んでいて、濱口さんのように仕事と研究を両立するか迷っている方もいると思います。どのような方には両立を勧められますか?
人生の大事な選択なので無責任には勧められませんが、両立に向いた環境が整っているタイミングなら、チャレンジしてみてもいいかもしれないです。
仕事と研究を両立するためには、①職場の理解、②テーマを引き受けてくれる大学の環境、③やりたい研究テーマ この3つが揃っている必要があります。
しかし、研究したいテーマがあっても、そのテーマを指導してくださる先生が見つからないと研究を進められませんし、研究できる環境が整っても職場の理解がなければ仕事との両立は難しい。これに関しては、運の要素も強いのではと個人的に感じているところです。
私の場合、会社から金銭的な支援などを受けているわけではありませんが、自己研鑽としての研究活動に上司から理解を頂けたことと、出身大学の先生が博士課程の指導も引き受けてくださったことで、新卒2年目から社会人ドクターにチャレンジできました。
おそらく私の分野では、社会人ドクターは30代・40代の方がトライすることが多いイメージがあって、新卒1・2年目から始める人は少数派でしょう。仕事が落ち着くタイミングや、大学・研究テーマとの兼ね合いでそのくらいの時期から始める方が多いのではないかと思います。
でも、年齢を重ねると仕事はきっと今より忙しくなるし、結婚して子どもが生まれたら、勉強時間をうまく確保できないかもしれない。まだ自分のために時間を使える中で、先に挙げた①②③も揃っているなら、仕事と研究を両立しやすいチャンスなのでは、と思います。
―お話を伺っていると、個人のタイミングの問題というだけではなく、企業の支援体制が整う必要もありそうですね。
まさしくそうだと思います。
支援体制が充実している企業だと、学費は全額会社が負担、就業日のうち週1日を研究用に確保してもらえる、などの例があるようです。社会人ドクターとしての土壌をすべて自分で整えなければならないとなると、不安で手を出せない人が多いかと思いますが、例えば企業が業務として社員を大学に派遣し、業務に必要なテーマを与えて研究をさせるという仕組みであれば、もっとチャレンジできる人が増えると思います。
私が研究している分野に限らず、あらゆる分野で技術は進化し、複雑化してきています。企業もその進化についていけるよう知見をアップデートしなければならないし、時にはついていくだけでなく、自らが全く新しいものを生み出さなければならないこともあると思います。そのような時代に、研究で得られるアカデミックな視点を取り入れ、実務に活かせる人材がいることは企業にとってもメリットが大きいはずなので、社会人ドクターという選択肢を企業が積極的に後押しする動きが広がると、非常に面白いと思います。
―最後に、博士号を取れた後にやりたいことは決まっておられますか?
博士号を取れた後も引き続き、会社以外の環境で何かしらの勉強はしていきたいと思っています。
私の最大の目標は「より安全・便利な乗り物」を実現して、交通の発展に貢献することです。メーカー社員としての仕事は、先進技術を実用化できる最前線の立場であり、これからも本業として取り組むつもりです。
ただ、今の生活で面白いのは、会社の中にいるからこそ分かる視点と、大学で学ぶアカデミックな視点、どちらも持てることです。会社の中の視点だけに閉じてしまうのではなく、何か自分に新しい視点を与えてくれるような働き方はないかなと、日々模索中です。
社会人ドクター 濱口 裕さん
大学院修士課程を修了後、自動車メーカーに就職。技術職として従事するとともに、大学院博士課程の学生として博士号取得を目指し研究活動も行う。社会人生活に慣れた30・40代から研究活動を始める人も多い中、新卒2年目から社会人と博士課程の学びを両立。