まずは目の前の相手を、納得させなければ始まらない ― 放送作家 鈴木おさむ 氏(第1回)

最終更新日: 2019年11月25日
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中村千晶

まずは目の前の相手を、納得させなければ始まらない ― 放送作家 鈴木おさむ 氏(第1回)

すずき・おさむ◆1972年、千葉県生まれ。91年、明治学院大学在学中に19歳で放送作家としてデビュー。数々の人気テレビ番組に加え、ドラマ、舞台などの脚本・演出も数多く手掛ける。妻・大島美幸さんの出産後は1年間、放送作家業の“育休”をとり、長男・笑福(えふ)君の育児に専念した。その体験記『ママにはなれないパパ』(マガジンハウス)など著書も多数。2018年5月には初監督映画「ラブ×ドック」が公開された。作・演出の舞台「カレフォン」が全国主要都市で11月13日まで公演。

 

――鈴木さんは中学生のころに放送作家という仕事を知り、高校時代には「なりたい」と思っていたそうですね。

 とにかく小学生のころからテレビが好きだったんです。創作体験として大きかったのは、小6で生徒会長になったとき、月に1回の生徒会の発表でお芝居をやらせてもらったことですね。「マッチ売りの少女が不良に襲われる」というような内容の話を自分で書いて、僕が女装して出たんです。生徒会長が女装して出てきたら、そりゃみんな笑いますよね(笑)。そのときウケた体験が心地よかったんでしょうね。

 中1の授業で友達を題材に小説を書いたり、中2、中3のときは先生に出す日誌に、先生をいじる文章を書いて2年間、毎日提出したりしてました。そうすると先生が「今日のはイマイチだな」とか添削してくれたんです。いい先生に巡り合ったと思います。この経験が物を書くことの習慣になったのかもしれません。その後も「放送作家になりたい」と思っていましたが、大学進学以外に東京に行くことを両親が許してくれなかった。なので、まず大学に進学したんです。

 

――大学在学中から、放送作家としてお仕事をしていた?

 高校時代に「どうやったら放送作家になれるだろう」と思っていたころ、テレビで放送作家が映っているドキュメンタリーを見たんです。その番組で紹介されていた芸能プロダクションを電話帳で探して、芸人さんのオーディションを受けに行きました。自分の順番がきたときに、「放送作家になりたいんです」と話しました。「まずは芸人としてやれ」と言われて、半年ネタを作って舞台に立ちました。それを経て、大学在学中の19歳でニッポン放送の「オールナイトニッポン」での仕事を紹介してもらった。僕は「こうすれば目標に到達できる」という考え方が割とシンプルで、ストレートなんです。そして迷わずに進む。まあ、いま振り返ると相当に“イタい”んですけどね。

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撮影:岸本 絢

――以降、ラジオやテレビで数々のヒット番組を生み出されました。順調な仕事人生に思えますが、苦労したことは?

 苦労を苦労と思ってなかったです。この業界に入ってすぐに担当した別の番組では、毎週ショートストーリーを書かなきゃいけなかったんです。「悲しいOLの恋物語」とかテーマを振られるんですけど、新人作家のものなんて基本、採用されない。だから僕はひとつのお題に10個の話を書いていった。毎回五つテーマが出るので、1週間に50個のお話を作るんです。一つしか書いていかないとYes、Noの判断ですが、10個書いていくとその中でこれはいいとか言ってくれたり、一つくらいは採用してくれたりする。それを続けていくと、選ぶ相手の「ツボ」がわかってくるんです。いわば「攻略法」です。

 結局、人の才能を見極めるのも「人」ですよね。目の前の上司や人に褒められない限り、先に進めない。その人のセンスが自分の趣味じゃなくても、合わせなきゃいけないこともある。フランス映画ばかり見ている人に、アクション大作の「ランボー」をプレゼンしても、企画にのってくるわけがないんです。そこを学ぶことができましたね。

(第2回につづく)

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