さへる・ろーず◆1985年、イラン生まれ。幼少時代を孤児院で過ごし、8歳で養母と来日。様々な苦難を乗り越えながら、高校時代から芸能活動を始める。声優の専門学校に通いながら東海大学でITを専攻し、卒業。高校時代からJ-WAVEでラジオDJデビューし、女優、タレント、キャスターとしてTV、ラジオ、映画、舞台と活動中。現在、「探検バクモン」(NHK総合)進行役、「サヘル・ローズのイチオシNIPPON」(BS12)、「ノンストップ!」(フジテレビ)などにレギュラー出演中。映画「東京島」、「ペコロスの母に会いに行く」、「振り子」、「みんな!エスパーだよ!」、「西北西」(2017年公開予定)などに出演。所属事務所「エクセリング」は現在、スタッフ募集中。
――サヘルさんは8歳のときに養母である現在のお母さんと、イランから日本にやってきたのですね。
そうです。私は児童養護施設で生活していました。7歳の時に今の養母に引き取られました。でも私を養女にした事で、母は実家とうまくいかなくなってしまい、母の知人が日本に住んでいたので、その方を頼って日本に来ました。
来日してすぐに、日本の小学校に通ったのですが、最初は習慣や文化の違いに大変苦労しました。イランでは親指を立てるサインが、人を侮辱する意味になってしまうのですが、私はそれを知らず、自分が何かをするたびに「Good!」サインをされるので、困惑して、周りを拒絶するようになってしまいました。逆に私も日本の習慣を知らずに、周りに舌打ちをしてしまって…。イランでは「友達になろう」と声を掛ける時など、親しみをこめて舌打ちをするのですが、舌打ちをしすぎて、みんなに嫌われてしまいました。
――そんななかで、助けてくれる人が現れた。
校長先生が1対1で日本語を教えてくださったおかげで、3か月後には日本語で作文を書けるまでになりました。校長先生はいまでも連絡をくれて、ときどき「サヘル、日本語、ここがおかしいよ」と教えてくれます(笑)。
あと、絶対に忘れられない恩人が給食のおばちゃんです!ある時、家庭の事情で引っ越しをすることになったのですが、頼る人がいなくてとても困窮してしまいました。住む家が見つからず、公園で寝泊まりをしていたこともあります。そんな時、給食のおばちゃんが「何か困っていることがあるんじゃないの?」と助けてくれたのです。なんと、母にアパートを探してくれただけでなく、工場でスタンプを押す仕事も紹介してくれました。
撮影:丸橋ユキ
――自分の将来や仕事について意識し始めたのはいつごろからですか。
実は、中3のとき酷いいじめに遭ったことがきっかけで、あまりにつらくて、自らの命を絶とうと思った事があります。意を決した日、普段家にいない時間帯に母がいました。こっそり覗くと、いつも明るい元気な母が泣いていました。母も生活がつらく耐えられなかったのです。
母も「楽になりたい」と言い、最後のハグをした瞬間、私はハッとしました。イランにいた時、母は裕福な家庭に育ち、手もきれいでしたが、いつも見ていたはずの母の手はゴツゴツになり、体は痩せこけていました。自らの幸せを犠牲にしてまで私を育ててくれた母に、何の恩返しもできていない。「この人の為に生きる事が私の使命だ」と思い直し、母の為に「大学に行き、ちゃんとした仕事について、母を楽にさせてあげよう」それが最初に自分の将来と“仕事”を意識した瞬間です。